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和歌から見える「もののあはれ」(1) | 2014/6/25 11:32:00

     和歌から見える「もののあはれ」1

『古今和歌集』を詠めば詠むほど、その歌の魅力がしみじみ感じられる。その魅力はどんなところにあるだろうか。『古今集』の中から幾つの歌を取り出してみる。

         五月待つ花たちばなの香をかけば  昔の人の袖の香ぞする

                             よみひとしらず  (『古今集』三·一三九)

  現代語訳は: 五月を待って白くさえざえと咲く橘の小花。その艶にも甘酢っぱいあざやかな香をかぐと、ああ、昔親しかったあの人の袖の香に似っていることよ。

  「花橘」はコウジミカン。初夏、香り鮮烈な白い小花を咲かせ、ミカンに似った小さな実を結ぶ。「袖の香」は袖に薰き込めた香のかおりである。当時は香料を季節などに応じて調合して衣服に薰き込めるのが女性や貴人たちにとって不可欠のたしなみであり、精神的な深ささえ示す美を演出するものであった。春の「梅花」、夏の「荷葉」(蓮の香) などが有名で、ここでは橘に似った柑橘系の香が薰き込められていたのである

   橘の香の中に甦る古びた恋、かつての恋人。恋の回想の甘やかさとせつなさが、橘の鋭い香の感覚のうちにまざまざと実感される。ある女が、宮仕えばかりに忙しい夫のもとを去った。十分に愛そうという男と他国へ行ったのである。妻に去られた男は、宇佐神宮への勅使接待の役人の妻がかつて自分の妻だと知る。男は「当家の主婦にさかずきをささげさせよ」と命じ、それと知らずさかずきを差し出す懐かしい妻に向かって、酒菜の橘の実を手にとって古歌を口ずさんだ。「五月まつ…」目の前の役人がかつての夫だと知った女は、自ずから軽率を恥じて尼となり山に入った。

   男と懐かしく思ったかつて自分の妻に会う時、ずっと心の底に抑えられている恋が起こされて来た。しかし、妻は今もう人妻になって、昔の親しかった妻ではないことに心が悲しみと痛みが感じる。女も自分の軽率で自分を深く愛する男を傷つけたことを恥じて悔しさと悲しみが感じる。流な振舞のなかにその心をつつみ込んだ男も、尼となった女の心も悲しくあわれに思われる。心の中のある愛の深さと現実の離れと対比して、悲劇的な愛情に惜しむところにあわれに思う。

   次の和歌を見たい。

    花の色は移りにけりないたづらに  わが身世にふるながめせしまに

                                 小野小町 (『古今集』二·一一三)

現代語訳は:花の色はすっかり褪せ衰えてしまったことよ。春の季節を逝かす長雨にぬれて————。そして、思えばわたしの身の盛りも、物思わしく世を過ごすうちに、いつしか衰えの陰がほのかに身に添っているのだった

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