この歌は『古今集』の「春下」に入集している歌である。歌の意味は春を代表する桜の花などが、あっけなく散り衰えてしまった光景を眼前にしての詠嘆ということになるが、「花の色は褪せ衰えてしまったなあ」と、第二句で切った詠嘆のひびきは、とても単なる風景を歌っただけではないような感じがする。そしてそれを受けて、「いたづらに(むなしく)」という花の衰えに対する観点が出され、それがつぎでは「わが身世にふるながめ」という言い方のなかで、折ふし「世には長雨が降って」という意味と、「わたしが世間に詠め(もの思い) しつつ在り経るうちに」という意味とが二重に発効し、作者の物思いの深さが、花盛りの時を忘れさせるまでのものであったことを示している。色衰える花の情景と、盛り過ぎゆくわが身の有様を、二重写しに一つの言葉のなかで言う方法である。
「花の色」とかのような優美な物言いに「盛り過ぎゆくわが身」を惜しむという自分の心や感情を込んだ後、その花がもう普通の花ではなく、作者の気持ちを分かっていて作者を撫でている気持ちをもっている花であるような感じがする。もう振り返すことの出来ない過ぎ去った自分の青春に対する惜しみにあわれに思う。
もう一つの和歌を見たい。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして
在原業平(『古今集』一五·七四七)
現代語訳は: 月よ、ああ、それは去年と少し、も変わってはいず、春も昔と同じ気配をもってめぐってきたではないか。そして、このわが身もまた、あの日のままに慕わしい貴女への思いを抱きつづけているのに、その貴女でけが変わってしまったのである。
この歌には長い言葉書が付されていて、この歌が作られた場面が、さながら小品の物語のように鮮明に浮かびがある。それによると、仁明天皇のお后であった順子というお方の西の対屋に住んだ高子という美しい人に、業平は思いを寄せて折々は密かに逢っていたが、それが知られたのだろうか、ちょうど香り高い梅の花の盛りの頃だが、にわかに高子はその住まいを移されてしまった。二人の恋はきびしく隔てられ、ふたたび逢うことは困難であった。業平は、その翌年、あの日のように梅の花がふくいくとして咲き匂う月の夜に、かつて高子と語らい明かした西の対に出かけでゆき、夜が更け月が西に傾くまで、一人板敷の間に臥して高子を思いこの歌を詠んだのである。
この歌を詠んだ後在原業平のその深い恋と懐かしさがしみじみ感じられる。また、一人で親しいところに昔事を思い出して、物は昔のとおりだが人は変わったもの寂しさを月や春の梅などに寄せるところにもののあはれに思う。
